“幼さ”と私

 大人になった誰にでも、幼い心は宿っています。今はふれることもむずかしい“私の心の中にある幼い心”。でも、思いを寄せることはできそうです。浅瀬に耳をそっと寄せ、水音を聴く。まるでゆりかごのような優しいせせらぎ… 幼い心にふれると、誰もが安心感を抱くようです。なぜでしょう…
 遥か遠くにあって、手が届きそうにない私の幼い心は、ときおりそのあどけない顔をひょっこりみせ、硬くなった私の心をほぐしてくれます。祖父母が孫をみて気持ちがほっこりするのは、孫に、自分の幼い心をみているからなのかもしれません。
 第1子誕生のときの育児日記です。
「夕べは9時頃から眠り、今朝の5時頃まで一度も目を覚まさなかった。無理してオッパイを飲ませようとしなくても、夜中は“眠る”ことだけでいいようだ。人間はいつの間にこの習性を身につけたのだろう。お風呂に入る前、おしめを取って手先を運動させているうち、お
しっこをする。抱いているうち、またおしっこをひっかける。こたつでオルゴールを聞きながら一人で眠る。今日はいい天気。たんぽぽが咲き始めた。目と目を合わせて話しかけると、応えるようになった…」
 眠ること、排泄、そしてお話…それは、人間生活の基盤となる出来事。幼児は誰に教えられるともなく、自然にその能力を身につけます。そんな不思議を、不思議と思わなくなったらもう大人。幼い心はいつも「理屈はなしよ。だって、私、理屈なんてわかんないから」とつぶやいています。その理屈を理屈と思わなくなったらもう超大人。幼児はいつも「私、そんなあなたなんてわかんない…」とつぶやいているようです。
 朝ごはんがおいしい! おひさまがまぶしい! お話が楽しい! ぐっすり眠れる! 毎日のことが気づかれるとき、それだけでほっとした、そして嬉しい感じがするのはなぜでしょうか。不思議に思います。私は、人間がもつ錯雑としたこころのありようを研究していますが、目に見えないものや、ひとがもつ思いの力のすごさに思いを寄せる毎日です。
 “思い”には、しばしば幼い心が映し出されます。それは「願い、祈り、希望」といった大人の言葉で言い表されます。ぐっすり眠りたい、おなかすっきり! お話が楽しい…そんな毎日を、大切にしたいと思います。でもそれは簡単なようで難しい… ではちょっと、”私”の心の中にある幼子と、お話してみませんか?